不正茶と増税と罰則
課税のスタート
 チャールズ2世は、逼迫した国内財政を立て直すため、コーヒーハウスの飲み物に課税する事を決定。
 この決定を皮切りに、不正茶、罰則、増税の、長きにわたるやるせない関係がスタート。

 1670年には、抽出液1ガロン(現在の英ガロンと同じならば約4.5リットル)につき2シリングを課税。抽出後に計測する必要があったため、コーヒーハウスではお茶をたくさん作って収税吏を待っていたそうです。
 これでは、お客さんに出す時に冷えたり黒ずんだりしてしまう・・・。
 なので、1689年には、乾燥茶葉1ポンドにつき5シリングに変更。この課税はなんと1964年まで続くことになる。
 ちなみに当時のお茶のお茶の相場は、ちょっと供給過剰だったようで1ポンドあたり2シリング~2シリング6ペンス。
 紅茶の値段の倍の課税額が徴収されていたことに!

 あまりに高額な税金により、輸入はストップ。
 1692年には、1ポンドあたり1シリングという大減税措置が取られた。
 が、しかし1695年には1ポンドあたり2シリング増税。
 イギリスが中国から直接輸入したものではなく、オランダなどの第三国を経由したものにはさらに高い税金が課せられた。

 その後1723年には、一律1ポンド4シリングに増税。
 延々と上がったり下がったりを繰り返すのですが、そもそも財政を逼迫させた原因は何かというと・・・「戦争」だったようです。

不正のスタート
 課税により跳ね上がった茶の値段。
 茶を安く売るためになのか、はたまた利益を多く出すためになのか、正規品でない「不正茶」が登場します。
 この不正茶がいつから登場したのかは不明ですが、最初の取締法が制定されたのが1725年。
 法律の制定はだいぶ世間で問題になってから、と考えると、メディアが発達していなかったこの時代、やはり登場は乾燥茶葉の課税開始と同じくらいなのかも?

 1725年に制定された粗悪茶取締り措置は、変造・まぜもの・染色したものには100ポンドの罰金。
 1730年には、悪質なものには、重さ1ポンドあたり10ポンド(お金)の罰金を追加。
 ということは、1725年の法律はいわゆる「ザル法」か。

 1760年代には、密輸が小規模なものから大きな組織的犯行にも発展。
 ノンフィクションからフィクションまで、茶の密輸を題材にした文献が残されているようです。
 政府は1766年に投獄刑も追加。
 
 1784年密輸を防止するために、首相ウィリアム・ピットが関税を100%以上下げる大減税を行う。
 これにより密輸は減ったと言われている
 ・・・が、お茶による税収を補うために導入されたのが、窓の数によって税金を取る「窓税」。
 世間は、窓税をとられなければいけないのは貴族が飲むお茶のせいだと批判したそうです。

粗悪茶をストップさせたものは
 粗悪茶を駆逐したものは、刑罰が科せられたことよりも、1784年、リチャード・トワイニング(3代目)が出した文書による効果が大きかったと言われています。
 彼が出版したのは「茶・窓税法と茶の取引についての所見」
 ここで、粗悪茶はいかにして作られるのか、という製造法を公開。
 羊のフンを混ぜるという驚愕の方法を知った世間は、当然ながら粗悪茶を大批判したそうです。

 が、残念ながら粗悪茶の根絶には至らず、現在でも同じような手法で続いています。
 現在、紅茶の不正の話はあまり聞きませんが、ブームになったお茶には気をつけたほうがよさそうです(--;)。