アヘン戦争
開戦の背景
 当時イギリスは、中国から茶をはじめ絹、陶磁器などを輸入。
 これに対して中国はイギリスから特に欲しいものが無く、イギリス国内の銀がどんどん減っている状態だった。
 そこでイギリスは植民地だったインドで栽培されたアヘンを輸出。
 清朝は、1796年にアヘンの輸入を禁止していたが、密輸と国内消費は止まらなかった。

 当時の清朝皇帝は林則徐に厳しいアヘン密輸の取り締まりに当たらせた。
 林則徐は「今後一切アヘンを持ち込まない」という誓約書を出す事を要求したが、イギリスはあくまでも要求解除を要求。林則徐はこれをはねつけた。

 これを貿易拒否ととったイギリスは、清朝に対して戦火を開く。
 開戦の理由が「麻薬の密輸」という事でイギリス国内でも「恥さらし」という意見が上がったが、議会は僅差でこの攻撃を承認。
 清朝を終焉に向かわせる戦争が、こうして始まった。

清朝の斜陽
 アヘン戦争の結果、清朝は香港を割譲。治外法権、関税自主権の放棄をせまられた(南京条約)しかもこの不平等条約にアメリカとフランスが便乗。イギリスとほぼ同様の内容の条約を締結させられた。

 清朝は皮肉にも、アヘン戦争の賠償金をアヘンの関税に頼らざるをえない状況になり、この戦争をきっかけにアヘンの輸入は増加していく。
 1880年にそのピークをむかえ、清朝が滅び中華民国の時代になるまでアヘンの輸入は止まらなかった。